2018.2.28 藝高の同窓会

一昨日、藝高同窓会の幹部会議をやった。

楽しかった高校時代を思い出し、参加するようになった同窓会とは、もう三十数年も付き合っている。日本一小さな国立の高校(全校生徒120名)。しかも女が男の倍以上もいる。あの年齢でプロの音楽家になることを決めて入学してくる逸材の集まりだから、はたから見たら異常な世界だろう。

僕は藝大には行かなかったので、藝高には特別な想いがある。そのため活動に参加をしていたら、当時の同窓会会長をしていらした藝大教授の佐藤眞先生が、藝高の校長に就任されることになった。藝高の第一期生である先生が校長へのご就任で、同窓会メンバーとしては非常に嬉しかったが、同時に藝高の表の顔である「校長」と、裏の顔である「同窓会会長」は同時に務められないとのご自身の強いご意向から、次の会長を決める理事会が招集され、そこで何故か僕が会長に選ばれた。

以来16年。大事な仕事は「周年行事」の立案から実行、それと5年ごとの名簿作りである。

その名簿に会長挨拶の文を掲載するために、同窓生(現在は約2500名)全員の名前を見渡してみる。実にそうそうたるメンバー。日本中の音楽大学の要職、N響を始めとする世界中の一流オケのメンバー、紫綬褒章など受章者多数のソリストたち等々、まさしく世界の音楽屋台の骨格をなす卒業生たちで誠に壮観である。僕の第11期生の同級生では、フランクフルト音大教授を含めドイツのプロオケの楽員数名、在京オケ首席奏者、音大教授などがいる。この伝統を守り、象徴的な存在として益々の発展に繋げる使命が同窓会にあると、皆で一昨日確認しあったところ。

藝高の正しい名称は「東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校」。なんと漢字18文字!

昨年だったか、ふと藝高の学内演奏会に立ち寄ってみたら、昔に桐朋で教えた子が僕を見つけて挨拶に飛んできた。なんと、その子の娘さんがピアノ科の1年生に入学していた。すごく嬉しかった次第である。

2018.2.24 ブログを再開しようと思う。

作陽を退職したのが2015年3月末。すでにほぼ3年が過ぎようとしている。その間に3回ほど東京でリサイタルを開催した。自分の出来ること、というよりは、自分にしか出来ない事にこだわった内容にした。作曲科に在籍中の米国留学2年目に書いた自作も弾いた。武士道ならぬ「ピアノ道」を自分なりに探求したかったから。10年ほど前までは自作はアンプできないと思い込んでいた。しかし、東京で初めて弾くことにしたので、頑張ったら、なんとアンプできた!根本的な自作に対する気持ちが変化したのだと思う。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」を何十年ぶりかで再度勉強していた時に、ラヴェルがオーケストラに編曲する時に直筆の楽譜を取り寄せる苦労をしたと初めて知った。印刷されて出版された楽譜というものが何かを、今回改めて深く考えさせられた次第。他人が音符一つ一つを幾らという値段で仕事として譜面を書く。所詮は売るために印刷するのだから、当時から作曲家との間でいろいろあっただろう。ムソルグスキーの本当の作曲時の思いをラヴェルは知りたかったのだ。自作に久しぶりに相対してみて、実にその感覚がよくわかった。