日本人の作品と、松村禎三「巡礼」

2日続けて日本人の作品を聴いた。

松村禎三、三木稔、そして高橋裕。松村は没後8年、三木は没後4年、そして高橋は昨年還暦を迎え、芸高教諭の籍を今年度で卒業である。

明らかに輸入物の西洋かぶれ的な音創りから脱却し、東洋、もっと言えば日本独特の魂を持った音楽が生まれている。

松村と三木は二人とも東京都狛江市在住であった。私の妻が長年住んだ町で、我々も新婚時代に過ごした地だ。そんな歴史から狛江独自の音楽みたいな物を感じた。和音、旋律、それらが狛江の土地の独特な雰囲気とか薫りを醸し出していた。

僕が、その成立に大きな役割を果たした松村禎三晩年の大作、ピアノのための「巡礼」という作品の偉大さを、涙ながらに力説していた松村の側近に、終演後の打ち上げで会った。 いわく、「あの作品は渡邉さんに会わなければ成立しなかった」とのこと。

そう言えば、松村の声楽曲「貧しき信徒」を聴いた時に、あまりの大きな感動に、松村にピアノパートだけでもリサイタルで弾かせてくれと哀願してた自分がいた。松村には、若い頃に書いた「ギリシャによせる2つの子守唄」しかピアノ独奏の作品がなかったのだ。 ある夏の日に、突然松村からお電話をいただき、君が僕に書け頼んでいたピアノの作品だけど、もしかしたら書けそうなんだけど、という。 音楽が閃いたといい、出だしを書いたとおっしゃったので、是非聴かせてくださいと臆面もなく申し上げ、妻と二人で、その電話を切ったその足でお宅に大急ぎで伺った。

先生の独特な、左肩が少し上がり、祈るような神々しい雰囲気で、最初のフレーズを弾いてくださった。

その素晴らしい魅力溢れる音楽に、直感で、これは名曲が生まれると確信した。 あの日は自分にとって非常に大切な日になった。 そのあと、お孫ちゃまの手を引いて皆で多摩川の花火を見に行った。 自分は49歳であった。